和みと癒しの島遍路
島四国のゆらい

粟島は古来より海運が盛んな土地柄で、特に文政の頃には隆盛を
極めていました。当時粟島の海運業者が擁していた北前船は 
相当な数でしたが、文政10年(1827年)に持ち船と、
船頭(船長)として乗り組んでいた船を合わせるとついに88隻を
越えました。その折り潟地区で海運業を営んでいた堺屋治右衞門と
言う人が、これを契機に、船舶の88隻と 四国88ヶ所とを
結びつけ、当時の船主に一船一基の石仏寄進を呼びかけ、島の各所に
お祭りしたのが粟島・島四国の始まりです。
建立当時は路傍で雨露にさらされていた石仏でしたが、信仰の厚い
島人たちは、男性は力を合わせて石仏の上に屋根をつけ、
場所によっては6〜8畳敷きのお堂を構え、女性は帽子を編み、
着物を縫って、代々大切にお祭りしてきました。
粟島の88ヶ所は毎年旧暦の3月21日に開催され、第一番札所の
梵音寺をスタートに、左回りで島を一周します。
各札所には近在の島人がお接待を用意してお遍路さんを出迎えます。
 粟島島遍路の動画紹介はこちら→
粟島の和歌・俳句紹介

「百伝う 八十の島わを こぎくれど
    粟の小島は 見れど飽かぬかも」
              柿本人麻呂
「波の間ゆ 雲居に見ゆる 粟島の
    逢わぬものゆえ 吾によする児ら」
              読み人知らず
「いつしかも 見んと思ひし 粟島を
    よそにや恋む 行くよしをなみ」
              読み人知らず
「粟島の 逢わじと思う 妹あれや
    安眠も寝ねず 吾が恋渡る」
              大友旅人
「ふるさとや 父母とある如
            蚊帳と寝る」
               村中美代

お接待風景
粟島出身のカメラマン 小林新治さんの作品です。