ポイント16馬城八幡神社
(粟島叢書より要約抜粋)
馬城は書物によっては馬木とも表記されていますが、馬木は
馬城の簡略表現と思われます。馬城の地名の由来は
西暦700年大化の改新による大宝令の発令で粟島に
託間牧が設置されたことによると推定されています。
馬城八幡神社境内の松林からは、多くの土器が出土しており
粟島の古墳の8割もこの神社の周囲に見られます。

馬城八幡神社の由来については、確実な記録が存在せず、
残念ながら、祭神が仲哀天皇、応神天皇であることが
分かっているだけです。ただ 全国の八幡神社の中で、
男性の親子神を祭っているのは他に例を見ないそうです。
↑馬城八幡神社本殿 参道より拝殿を臨む→
社殿の構造は、本殿は2間に2間1合の神明造り、
屋根は銅版葺きで、千木・鰹木があります。拝殿は2間
2合に5間の広さで瓦葺きです。
境内の面積は2町7段4畝24歩で、粟島島内の神社では
もっとも広い敷地を有しています。
境内には太閤松と呼ばれ、豊臣秀吉の朝鮮出兵のおりに
太閤御座船のとも綱を結んだと伝えられた松の大木が
ありましたが、今は株の残滓だけとなっています。
馬城八幡大祭は毎年の8月15日に催されます。

馬城八幡神社のある馬城は、白砂青松・粟島のシンボルの
美しい海岸でした。
しかし、瀬戸内全域を襲った松くい虫で、樹齢数百年の
松林は、ほぼ全滅に近い被害を受けました。
加えて浮遊ゴミの問題、海洋汚染等々・・・
馬城の過去の景観を取り戻すためには数十年の月日と
何代にも渡る、過疎化に苦しむ島民の努力を
要します。
一人ひとりの環境保全の意識の高まり意外には
美しい自然景観を次世代に残す方法は無いのでは
ないでしょうか。
 ↑海にせり出した鳥居
静かに瀬戸内を見つめています。