8月の行事
8月の行事

(1)八朔

 八朔とは八月一日のことで「馬節句」という讃岐、特に西讃に盛んな行事で、全国的の
年月行事ではない。五月五日の菖蒲の節句に多くの地方は家の中に武者人形を飾るが、
讃岐地方はあまり飾らない。最近都会風が流行して武者人形を飾る家もぼつぼつ見え出した。
さて八朔の起こりであるが、寛永の三馬術で有名な曲垣平九郎が丸亀藩主であった関係で、
馬を元気の良い動物として男の子も馬のように元気にと、米の粉で馬の形の団子を 
朱や青の色粉で着色して作り、美しいものを武者人形と共に飾ったものである。
人形は神功皇后と竹内宿弥、加藤清正の虎退治等であるが、雛人形同様 形は昔より
小さくなっているが精巧にできるようになった。
この日青年団は各支部集まって、今日の祭りの太鼓打を定めて今日から練習にかかる。
これから毎晩トコトコ チンチン・・・と初秋の夜に太鼓の音が響いて秋祭りが近づいた事、
夏も終わり夕は涼しくなったと感じさせてくれる。


2)八幡祭

 昔は旧暦八月十五日は八幡神社の祭日で全国何処の神社も同じ日であった。
それから八幡神社の紋章は三つ巴で、これも全国同一である。
しかしまだまだ残暑は相当激しいので多くの地方は新暦の十月一日とか五日とかに
改正しているが、粟島の八幡神社の祭典だけは不動である。祭神由緒等は稿を改めて、
粟島の神社のみを一編として纏めたいので、ここではあまり詳述しない事にして、祭りの
模様を記す事にする。
だいたい今の祭りとたいした違いはないが、昔は「母衣(ぼろ)武者」と言って
3・4歳の男児が黒い鉢巻きをして背に造花を負い木製の長刀を持ってお供に行ったもので、
稚児さんの一種で可愛い風景であったがいつの間にかやまってしまった。
もう一つは角力で、ご神事の後で角力大会があり 青年や小学生たちが力自慢をして
楽しんだものである。又「ちょっさ」と言って一種の篭のようなものに大鼓を載せ、
少年一人が共に乗って太鼓をたたき 大勢の若者が担ぎ、ワッショイ ワッショイと
練り歩いたものであったが、これも40年位前からすたれてしまった。
なぜこんなにいろいろの行事がすたれてしまうのか、理由はいろいろあろうが、若者が
毎年減少して行く事が最大の原因といわねばならない。


(3)彼岸 

 二月のところで春の彼岸の事を書き落としてしまったので、ここで春秋一緒に彼岸について
述べる事とする。彼岸の入りに団子・おはぎ等を作り仏前に供える。墓参りをする。
中日のする家もある。たいていの家では中日の日は野良仕事は休む。
「暑さ寒さも彼岸まで」の諺通りこれから暖かく、又涼しくなり良い季節が来た事を喜びあう。