正月中の行事
(1) 餅つき」 

 早い家は12月の23日頃より、遅い家では大晦日。大体26,27日ごろが最も多くつく。
つく方法は3人ではじめついて、最後にきなどりをしつつ1人づきとなる。
これは地方(ぢかた)の方法と異なっている。地方は大きい杵ではじめから1づきである。
昔は正月の餅は1種類だけ、即ち米だけで搗かぬものとし、稗・粟などの雑穀を必ず1臼、
2臼搗いたものであった。
餅は鏡餅(神に供える)小餅、あん餅、のべ餅、(かき餅用)で鏡餅は家によって
多少異なるが、大体13重ねぐらい一家に必要である。
話が前後するが、こしきを蒸すかまどの前には食塩を少し積み重ねる。
塩は清める役をするからである。餅をつき終わると最後のこしきは、赤飯を炊いて
手伝いの若い者に酒を振る舞いご祝儀を出す。
搗いたあん餅は7個〜13個くらい(偶数は嫌う)親類・近所へ配る。
これを「臼元配り」と言っている。
まだ自分の家で搗いていない家は珍しく、搗いた家では柔らかいのが珍しく、喜んでいただく。
やったり貰ったり、同じようなことを2,3日で交換するのであるが、ほほえましい
年末風景である。
最近はごく近親者のみに範囲を狭めつつあるように見受ける。
私の子供の頃(大正年間)までは、柳の木の枝に小さな餅を、ちょうど花が咲いたように
つけて中の間のかもいの上に打ち付けたものであるが、今日この習慣を残している家は
粟島には一軒もない。詫間あたりでは今なお残っているところもある。


(2) 松飾り 

 12月28・29日には、山から松の木を伐って来て松飾りをする。
竹も大抵一緒に立てる。中には樫の木も建てる家もある。
注連縄も各戸で作ったものであったが、最近は商店で販売するようになった。
注連には うらじろ、だいだい、串柿をつける。床の間には三宝に鏡餅を供え、
それに だいだい、串柿をつける。
その意味は色々あるが、鏡餅→鏡 だいだい→玉 串柿→剣 になぞらえ、三種の神器に
型どり、智・仁・勇 三徳を表すという節が有力なようである。


(3) 正月食の用意

 正月を目前に控えて主婦は正月用馳走の準備に忙しい。
年中多忙な主婦にせめて正月3日間位は炊事の苦労を休ませようとしたのが起こりらしい。
煮豆(黒い大豆)昆布巻き(芯はニシン、紐はズイキ)煮〆(人参・大根・里芋・焼き豆腐等)を重箱に詰めて用意する。
その他 酢・醤油・砂糖から酒に至るまで年末に整える。
正月用の箸を求め、箸袋にはそれぞれ名前を書いておく。


(4) 1月1日(元旦)

 早朝起床、神々に灯明をあげ、氏参りをする。帰ってお雑煮を祝う。
常には(日常では)茶の間で汁も陶器の食器を用いていたものを、正月3日間は座敷で
本膳で木のお椀で雑煮を食べる。
元日・2日・3日は漬け物の沢庵は用いない。代わりにポリポリ音のする数の子を用いる。
雑煮は粟島では普通大根を輪切りにしたものに小餅を入れて、味も醤油で至極あっさりした
すまし汁である。
詫間辺では蒲鉾や里芋を入れ、白味噌で味付けをしたこってりしたもので、大阪辺の関西風も
白味噌を使うところが多い。
昔江戸では正月の雑煮がすまし汁であったので、北前船が関東風の雑煮を見習って
島一般に流行させたのかも知れない。
(判読不能ヶ所あり・・・・・)を焼いて神々に供え、近くの神社にも供える。
昼の食事の副食は重箱の煮〆・煮豆・昆布巻きなどを適宜に食べる。
この日は掃除をしないことになっているので、前日・即ち大晦日に良く掃除をし、
又元日には努めて汚さないようにする。又この日は一銭も金を使わない日である。
一家の主は元日・2日・3日の間に紋付き羽織を着て親類へ年賀の挨拶に廻る。
大体「明けましておめでとうございます。旧年中は色々お世話になって
ありがとうございました。本年もどうぞ相変わらずよろしくお願いいたします。」
と言う意味での一通りの挨拶が終わると、上がってお屠蘇を一献酌み交わし、
次の家を同様に廻る。
最近では常に顔を合わせ殊更仰々しくしなくなり、この習慣も非常に少なくなってきている。


5) 1月2日

 この日は掃除もするし金も使える。お雑煮を祝うことは先日と同じであるが、
昭和12・13年までは買い初めが盛んであった。朝早くから商店へ買いに行く。
一番乗りは鏡餅一重ね、それから後は買う金高、日頃の買い方等々によって景品がつく。
商店は一年中の謝恩の印として2日の売り上げの利益は全部景品に入れてしまう。
今は廃れてしまった。尚この日 書き初め、唄いはじめ等の 学芸・芸道の稽古はじめを
したものであった。


(6) 1月3日

 この日は割合行事の少ない日で、食事その他は前日に同じ。

(7) 1月7日

 4・5・6日は お雑煮を食べないが、7日は雑煮に菜を入れる。
これは御形(ごぎょう)・繁縷(はこべら)・仏座(ほとけのざ)・鈴菜(すずな)・
蘿蔔(すずしろ)・芹(せり)・薺(なずな)の7種類の菜を餅と共に粥に煮て食した
昔の慣例から来ている。
江戸時代には1月7日を人日(じんじつ)の節句、又七種の節句として五節句の一つとして
幕府の式日として定められた日であった。

(8) 門松の処分

 14日の夕方、その年に飾ったものを集めて海辺へ持って行き火をつけてはやす。
これによって歳徳神を送る。
この日鏡餅をこの火であぶって焼き、持ち帰って家内一同分けていただく。
もし松の内に家内に死人があると、注連は海に流してはやさない。
ここで面白いのは14日夕方にはやすのは粟島ぐらいのもので、殆どの地方が15日早朝
はやしている。その理由はちょっと解しかねているので、お分かりの方はお知らせを願いたい。