粟島留学随想1
私は、粟島留学でお世話になっている子どもの母です。
「離島の循環型社会を勉強したい。島といえば日本も島国ではないか。
粟島はもしかすると日本の縮図かも。・・」
などと、さまざまなことに思いを巡らしながら、子ども(中3)共々、
とうとう粟島にやって来ました。
でも住んでみると、そんなことは傍らに忘れてしまうほど、本当に
良いところです。粟島の空気と風。なんと表現すれば良いのでしょう・・・
それは実際に吸って、あたっていただかないと、言葉にはしがたいような
気もします。
気がつくと私の日常の中で、海は本当に沢山のことを教えてくれています。
潮風は心をからっぽにする幸せを与えてくれました。
先日も、須田から粟島に渡る定期船の、乗船時間まで(一時間程)待ち合わせ時間がありましたので、
砂浜でぼーっと海を見ていましたら、波のリズムに合わせ、たくさんのカニさんたちが、波と
全く同じリズムで穴の中の砂を一生懸命かき出しているのです。
群れ飛ぶ鳥達も加わって、いつのまにか自然の音楽会のようでした。
そんな時間を過ごしていると、なんとなく「人と自然の関係を考えるという発想は、本当は
不自然なんだ。」と言うことに気づきました。
けれど、現実に戻って、親ともなれば子育てがあり、社会との関係の中で暮らさなければなりません。
粟島に移り住むまでも、できる限り助け合いの精神を忘れず、自分におごらず、謙虚に生きようと
心がけてきました。
しかし粟島に来て、島の助け合いの中に、都会での生活の助け合いより、何倍も切実なものを
実感させられました。
人は、他人との関係の中でとかく上下をつけたがったり、自分を良くみせたいたいばかりに、
人の噂をします。私は自分が末っ子だったせいか、人の悪口が大嫌いでした。
幼い頃から兄弟の嫁姑の悪口や嫉妬にさらされてきたせいもあると思いますが、悪口は
口にしているほうがやはり下品に感じてしまいます。これは小学校時代から変わっていません。

話は飛躍しますが、今回の中国におけるサッカーアジア大会のブーイング問題も同じように
感じてしまい、別の切り口が表現としてあるのではないかと思ってしまいます。

島のことに戻りますが、木々に抱かれた山、粟島は三つの島が結ばれたて出来たと聞きましたが、
雨が山の木々に降り注ぎ、地中深く浄化され水となり、いのちの母海へ、やがて蒸気となり雲となり、
紫雲出山方向から雨となって命の水の循環が営まれます。
空気、水、土、土の中の生きもの、木、木の生態系、海、海の生態系、ミクロからマクロへ
「自然の循環」が、手に取るように鮮やかに感じられる日々のなかで、それでも島暮らしの日が浅く、
どこか島のリズムとシンクロしきれていない私は、時々鏡の奥の自分の瞳をのぞき込んで、
「私の心も前向きに生き続けて行けるのかしら? 」などと気楽につぶやいてしまいます。
空想癖を持つ私は、粟島に来て空想と現実の垣根がますますあやふやになて来ていますが、