粟島のパブリックアートとは?
1960年代から、わが国の都市部では、環境整備や景観形成を目的
に地方自治体が中心になって積極的に彫刻設置事業が展開されて
きました。いわゆる「彫刻のあるまちづくり」事業です。現在、
こうした事業を継続的に展開している自治体は全国で20を越える
そうで、一般的にはこれらの事業をパブリックアートの普及推進と
呼んでいます。
一方ここ粟島には、島四国のページでもご紹介させていただいて
いますが、島民の生活の場に寄り添うように 作者不詳の石仏が
たたずんでいます。 もともとは、海に生きる島民の信仰が真言宗
信仰と結びつき、石工職人に創らせたものなのでしょうが、当初
より芸術を意識したものではないものの、長年の風雪という
「時の職人」の手が加わって、今やどの石仏も味わい深い表情と
なっています。
それに加え 粟島の石仏は、背景に広がる瀬戸の海、
穏やかな自然、信仰の証に供えられた野の花々の傍らで
島で生まれ島で生きた人々の暮らしと共にありました。
石仏の周囲に醸し出された風景は、あざやかな心象風景と
して 島遍路に訪れる善男善女の心に刻み込まれて
きたのです。
一方粟島では海岸の特徴的な岩、旧道沿いの岩や木々等に、
呼び名を付けて島のランドマークとしてきました。
そしてそれらの場所は決まって島の子どもたちの楽しい
遊び場でもありました。
このように粟島のパブリックアートの原形は、無名の
石工たちによって創られた石像であり、
自然の造作物でしたがいずれも人々の生活と
切っても切れない関係のものばかりでした。
廃材のブイを利用して作った
ブイブイ人形、島の至る所で
ほほえんでいます。
  松田えつ子さんの作品
近年は全国的に「彫刻のあるまちづくり」の試みが推進
されていますが、ほとんどのケースが著名な芸術家の
作品を、道路やビル前に設置し、その空間自体が野外美術館
のようで、一般庶民にとって生活風景のなかで末長く
記憶にとどまるものになるには、まだまだ時間もかかり、
検討も必要なのではないでしょうか?
その様な状況にあって粟島では新しく島四国の石仏と並んで
島民に愛される作品が、島民によって生み出されてき
ています。
それらは切れ味鋭く現代を語るものではないかも知れません
が、島を訪れる人々に、一時の元気を送るやさしさに溢れた
作品ばかりです。
粟島生まれでデザインを志す若者が
創った、古瓦を利用したモザイク。
大きい作品です。
     西山隼人さんの作品